初めての留学 1928-31
1928年 文部省の在外研究員となった夫・田中薫と共に欧米に留学。
ここで田中千代は人生を変える決定的な三つの出会いをもつことになる。
チューリッヒのオットー・フォン・ハスハイエ教授。ニューヨークのエセル・トラペーゲン校長。
帰国の船での武藤千世子夫人との出会いである。(田中千代学園・50年史 1982年より)
| 1928年 文部省の在外研究員に 選ばれた夫薫と共に渡欧 |
| 1928年 ケンブリッジで開かれた 国際地理学会に出席する薫に同行 |
| 1928年 ケンブリッジにて 前列、左端 |
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| ●ロンドンのニューナム・カレッジの 夏期大学に参加。 ●オックスフォードで語学の勉強。 ●冬はブライトンに移り、近くの洋裁 教室に通う。 |
| ロンドン・ニューナム校にて |
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| 1929年 ロンドンにて |
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| 1929年 パリに滞在、図書館、 博物館、美術館に通うかたわら 展覧会、音楽会にも足を運び 「ベル・エポック」のパリ芸術に浸る ●ベルリッツ校で語学の勉強 |
| パリ滞在中ボーグ誌に掲載された ハスハイエ教授のデザインに深く 感銘し、彼の経営する学校「ディ・ モーデ・ウント・トラハト・シューレ」 へ入学依頼の手紙を出した。 しばらくしてチューリッヒの先生から すぐに来なさいという国際電話がか かり、私がこの道を進む運命となっ た。 このハスハイエ先生との出会いは 私にとってまたとない一生の方向づ けをさせる贈りものとなり、同時にデ ザインとの出会いともなった。 (「デザインとの出会い」田中千代、 田中千代学園50年史 1982年より) |
| 1930年4月〜12月 ●スイスの「ディ・モーデ・ウント・ト ラハト・シューレ」(流行と衣装の 学校)に学ぶ。バウハウスの流れを 汲むオットー・フォン・ハスハイエ教 授に師事。 |
| オットー・フォン・ハスハイエ教授 |
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| ハスハイエ教授と |
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| スイスにて薫と |
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| ●ドイツ・ケルンの「ディ・クンスト・ ウント・ゲベルペ・シューレ」 (美術工芸学校)に学ぶ。 ●フランクフルトでボディの作り方を 学ぶ。 |
| 1931年田中薫に同行して渡米 |
| ●ニューヨークのトラペーゲン・スク ール・オブ・ファッションに学ぶ。 (ハスハイエ先生に紹介された学校 |
| エセル・トラペーゲン校長 |
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| トラペーゲン校長は、企業と直結し た学校経営をしており、職業人とし てすぐに役立つよう生徒にドローイ ングから縫製に至るまで総括的な 勉強をさせていた。よく出来たデザ イン画は先生に預けられ、専属デ ザイナーのいない企業が買い求め に来た。 トラペーゲン先生の民族的なもの への興味は広くまた深く、学校の 壁や隅々に収集品が飾られてい た。現在の私の民俗衣装収集は、 先生の影響を受けた事は確かで ある。 1982年-田中千代学園50年史より |
| 9月 帰国の途につく |
| ニューヨークからサンフランシスコ までアメリカ横断ドライブ |
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| 麦畑が始まると3日も4日もつづき、 そこを自動車が走り続ける。地理に 興味のある主人の助手として麦の 成長の変化をその土地その土地で 観察し、測定し、土を採集し、麦の 写真を撮る。次第に麦の背が短く なると、土地が肥えてない事に気 づく。麦が小さくなるのに気づき始 めると、あちこちにサボテンが見え てくる。 地図を見、実地勉強をしながら運転 助手の仕事をし、次の街への準備 をする。地図一枚をたよりにしての 主人とのこのドライブは、印象に深く 残るものであった。(50年史より) |
| 1931年 帰国船上 |
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| 帰国の船上でカネボウの創始者で ある武藤山治氏夫人千世子さんと 出会う。これがカネボウとの出会い ともなった。 |